明治時代の書籍に馬川亭の広告を発見!
佐渡國栗野江村御料理 馬川亭当亭は畑野、新穂の中間にありて閑静無比、又國中の平原を見下して秋天風清き日 仲興畷(なかおくなわて)さては八幡沖(やはたおき)の稲葉をそよく波のうねうね 其の眺め得も言われず殊に日蓮謫居(にちれんたくきょ)の古跡なる根本寺は僅々 十丁を出でず 来遊の雅客必ず一たび駕(かご)を枉げたまわんこと伏して希い上げ候(こいあげそうろう)『佐渡名勝』 著者:岩木拡 出版者:佐渡新聞社 出版年月日:明治34年 (1901年)
佐渡國栗野江村御料理 馬川亭当亭は畑野、新穂の中間にありて閑静無比、又國中の平原を見下して秋天風清き日 仲興畷(なかおくなわて)さては八幡沖(やはたおき)の稲葉をそよく波のうねうね 其の眺め得も言われず殊に日蓮謫居(にちれんたくきょ)の古跡なる根本寺は僅々 十丁を出でず 来遊の雅客必ず一たび駕(かご)を枉げたまわんこと伏して希い上げ候(こいあげそうろう)『佐渡名勝』 著者:岩木拡 出版者:佐渡新聞社 出版年月日:明治34年 (1901年)
明治中期以降には松ヶ崎道・皆川道・夷道の交差地だったこの仙道という土地には、馬川亭、松月亭、寿亭、一春亭という料亭があり、芸者衆も多く、昼夜三味線の音や歓声が響く、島内きっての歓楽街だったとの事。 今はその面影は無いけれど、どういう巡り合わせか2つの温泉施設、野球場等のスポーツ施設、総合高校、コンビニといった島内でも比較的人の集まる要素が強いエリアとなっている。 どの時代でも人が集まる土地には何かしらの理由がある。 そして何よりこの土地に今もなお馬川亭が残っているという奇跡に心が躍るのだ。