The History of SADO (Ancient Times)

5 佐渡の歴史(奈良時代以前)

国生み神話の「大八洲(おおやしま)」

神代・神話の時代

佐渡は「最果ての島」と思われがちですが、日本最古の歴史書『古事記』や『日本書紀』では非常に高い地位を与えられています。イザナギ・イザナミによる「国生み神話」において、佐渡は本州や九州などの主要な島々(大八洲)に続き、7番目に誕生した島として登場します。

多くの島がある中で、最初の主要メンバーとして数えられている事実は、古代の大和王権にとって佐渡が単なる離島ではなく、国家形成上の重要なパートナーであった証拠です。神代の昔から、佐渡は日本の歴史の表舞台に立っていたのです。

【Column】古代佐渡の「大きさ」の謎

『古事記』で佐渡が7番目の島として登場することに加え、実は佐渡は当時の人々にとって「意外と大きな島」として認識されていた可能性があります。

古代の地図や認識において、佐渡は現在の感覚よりも重要な、日本海に浮かぶ独立した一つの「国」のような存在感を放っていたのかもしれません。

神話における序列の高さは、当時の大和王権から見た佐渡の戦略的重要性を物語っています。

北と南が融合する「文化の交差点」

旧石器末期〜縄文時代

佐渡は日本海の中央に位置するため、古くから南北の文化が交じり合う重要拠点でした。

島内からは、北海道・東北地方の影響を受けたダイナミックな土器と、北陸・近畿地方の影響を受けた繊細な土器の両方が出土しています。さらに、それより古い「草創期(そうそうき)」の石器分析からも、当時の人々が関東や東北の文化圏と活発に交流していたことが判明しています。

佐渡の人々は、外からの文化を拒絶することなく受け入れ、独自のスタイルに融合させていました。海を越えて情報と技術が行き交う「文化のハブ」としての機能は、一万年以上前から始まっていたのです。

【Column】佐渡最古の痕跡と石の物語

小木地区にある「長者ヶ平(ちょうじゃがだいら)遺跡」は、佐渡で最も古い時代の文化を伝える重要な場所です。

ここからは、「有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)」と呼ばれる、槍先などに使われた特殊な石器が出土しています。これは佐渡がまだ本土と地続き、あるいはそれに近い環境にあった頃、関東や東北の狩猟採集民たちがこの地を訪れ、文化的なネットワークを築いていた証拠です。

島内30カ所以上で発見された石器(石鏃や石斧など)は、太古の昔からこの島が多くの人々にとって「暮らしの舞台」であったことを静かに物語っています。

縄文の海を駆ける「マグロ漁師」

縄文時代

「閉ざされた島」というイメージは後世のものです。古代の佐渡人は、現代人も驚くようなダイナミックな海洋民族でした。

内陸の遺跡からは、当時の人々が食したマグロやブリの骨が出土しています。

これは、彼らが浜辺で貝を拾うだけでなく、丸木舟を操って外洋へ漕ぎ出し、荒波の中で大型魚を仕留める高い航海技術を持っていた証です。

私たちがお届けしたい佐渡の食の豊かさは、数千年前からこの海で戦ってきた漁師たちの、長い歴史と挑戦の延長線上にあるのです。

【Column】 古代人のデザート「桃とクルミ」

新穂の遺跡からは、炭化したお米と共に、大量の「桃の種」や「クルミ」が見つかっています。特に桃は、古代中国や日本において「邪気を払う力」があると信じられていました。

厳しい自然や危険な漁と隣り合わせだった古代の人々は、甘い桃や木の実を味わいながら、明日への活力を養い、無病息災を祈っていたのでしょう。いにしえの食卓にも、現代に通じる「食の楽しみ」と「祈り」があったことがうかがえます。

黄金以前の輝き「赤い宝石」と手仕事

弥生・古墳時代

江戸時代の「金山」が有名ですが、それより遥か昔、古墳時代の佐渡は「赤い宝石の島」でした。島内で採れる赤玉石(碧玉)やメノウを加工し、「管玉(くだたま)」を作る一大産地だったのです。

新穂地区の「玉作遺跡」はその製造拠点であり、ここで磨かれた赤い宝石は海を渡り、本土の王族や豪族の首元を飾りました。佐渡は古代日本のファッションと権威を支える、最先端のブランド・ジュエリー工場としての輝きを放っていたのです。

馬川亭が大切にする「手仕事」や「作品」への想いは、この古代の職人たちの情熱と繋がっています。

【Column】謎の超絶技巧「石の穴あけ」

古代の管玉には、非常に細く長い穴が開けられています。

現代のドリルでも難しい硬い石に、どうやって穴を通したのでしょうか?

当時の道具は、弓の弦で棒を回転させる「舞錐(まいぎり)」のような原始的なものであったと推測されますが、その精巧さは現代の技術者も舌を巻くレベルです。

静かな遺跡の土の下には、気の遠くなるような時間をかけて石と向き合い、美を追求した古代の職人たちの息遣いと、高度な技術の記憶が眠っています。

異界と接する「国境の最前線」

古墳・飛鳥時代:544年〜

『日本書紀』や大正時代の史料『越後・佐渡』によれば、欽明天皇5年(544年)、佐渡の北部に「粛慎(みしはせ)」と呼ばれる北方の異民族が船で来航したという記録があります。

彼らは春夏の間、佐渡の海で魚を捕り、島民はその姿を「鬼」ではないかと恐れました。彼らが水を飲んだ場所は「粛慎隈(みしはせのくま)」と呼ばれ、歴史の彼方にその痕跡を留めています。

後に阿倍比羅夫が北への遠征を行いますが、佐渡はヤマト政権の支配が及ぶ北限として、常に未知の世界と向き合う軍事・外交の最前線でもありました。

【Column】「鬼」はどこから来たのか

佐渡には多くの「鬼太鼓(オンデコ)」伝承がありますが、そのルーツの一つには、海を越えてやってきた異邦人への畏怖や、彼らが持っていた優れた技術への驚きが含まれているという説があります。

恐ろしい「鬼」の面は、実は海を渡ってきた未知なるエネルギーの象徴なのかもしれません。

異文化との接触が生んだ緊張と畏れが、佐渡独自の芸能や伝説の底流に、今も静かに息づいているようです。

歴史情報の提供のお願い・出典

本ページに掲載している歴史やエピソードは、以下の文献および地域の方々への取材に基づいて構成されています。
記述には万全を期しておりますが、口伝や古い資料に基づく内容も含まれるため、史実と異なる可能性もございます。

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皆様からいただいた情報を元に、このページをより豊かな「地域の財産」へと育てていきたいと願っております。


参考文献・出典一覧

【文献・資料】

  • 『栗野江郷土史(第一巻)農林業篇』/編集:栗野江郷土誌編さん委員会/平成 7(1995)年
  • 『栗野江郷土史(第二巻)完結篇』/編集:栗野江郷土誌編さん委員会/令和 元(2019)年
  • 『栗野江城ケ平公園整備計画書(桜の名所づくり)』/編集:佐渡一国義民殿・城ケ平保存会/平成 28(2016)年
  • 『あゝ、栗の江柿』/編集:土屋重右ェ門/平成 8(1996)年
  • 『佐渡市歴史的風致維持向上計画』/編集:佐渡市/平成 22(2010)年
  • 『佐渡案内』/編集:佐渡水産組合/明治 41(1908)年
  • 『佐渡名勝』/著:岩木拡 発行:佐渡新聞社/明治 34(1901)年
  • 『佐渡大寰』/著・発行:池上鋼他郎/昭和 2(1927)年
  • 『大日本地名辞書 中巻 二版』/著:吉田東伍/大正 2(1913)年
  • 『日本國誌資料叢書 越後・佐渡』/著:太田亮/大正 13(1924)年
  • 『佐渡人名辞書』/著:本間周敬/大正 4(1915)年
  • 『佐渡郷土文化』/編集:佐渡郷土文化の会/平成 8(1996)年
  • 『祖國』(10月号)/発行:祖国社/昭和 15(1940)年

【取材・協力】

  • 地域住民の皆様への聞き取り取材
  • 馬川亭へご来店のお客様からの情報提供
  • 馬川亭 店主による独自調査