静寂の守り神「何代野の大五輪塔」
江戸中期〜:1794年建立
仙道の歴史を遡ると、華やかな表通りの賑わいとは対照的な、静謐な祈りの場に行き着きます。
商店街の裏手、今は静かな場所に、高さ3メートルを超える「何代野の大五輪塔(なんだいのの だいごりんとう)」(寛政6年/1794年建立)がひっそりと建っています。
この一帯は古くから「何代野(なんだいの)」と呼ばれ、現世と来世の境界ともいえる特別な場所でした。この巨大な石塔は、土地に眠る無縁の魂を静かに見守り、安らぎを与えるために建立されたものです。
人々はここで手を合わせ、過去を供養することで、この土地を人が安心して集える場所へと変えていきました。仙道の繁栄は、この深い祈りの上に成り立っているのです。
【Column】 聖人の言葉と、地名の余韻
「何代(なんだい)」という不思議な地名。その由来には、歴史上の偉人とのある「会話」の記憶が残されています。
伝承によれば、日蓮聖人が配流地の塚原へ向かう途中、この地で里の人(一説には弟子の日朗 )に呼び止められたといいます。その時、聖人が足を止め「なんだいの(何事か)?」と気さくに応えたこと。その言葉の響きが、いつしかそのまま地名「何代野(なんだいの)」になったと伝えられています 。
恐れ多い聖人との、ほんの些細なやりとり。しかし、当時の人々にとってはその一言が何よりも心に残る出来事だったのかもしれません。傍らに立つ大五輪塔は、そんな聖人の足跡と、土地の記憶を今に伝えています。
「畑野の食い倒れ」と街道の熱気
明治〜昭和初期
祈りによって清められた土地は、やがて松ヶ崎・皆川・夷(両津)へと続く主要街道が交差する交通の要衝として、驚くべき発展を遂げます。
特に国中街道や小木街道が交差するこの地域は、単なる通過点ではなく、物資と情報、そして文化人が集まる「内陸の社交場」でした。
「一度足を佐渡に入れんか、一見商業地にあらざるを知るべし」
最盛期には「松月亭」「寿亭」「一春亭」、そして当館「馬川亭」といった料亭が軒を連ね、まさに内陸の「花街」と呼ぶべき賑わいを見せました。
昼夜を問わず三味線の音と客の歓声が響くその様子は、「畑野の食い倒れ」と称されるほどの熱気を帯びていました。
【Column】農民にして詩人、商人にして画家
佐渡の歴史を紐解くと、驚かされるのは庶民の教養の高さです。
大正時代の『佐渡人名辞書』には、この地域出身の多くの人物が名を連ねていますが、その肩書きは多種多様です。
農業や商売を営みながら、和歌を詠み、漢詩を作り、書画をたしなむ。馬川亭が創業した江戸後期から明治にかけて、この仙道・畑野エリアは、旦那衆や知識人が互いの作品を披露し合う、粋な「大人の遊び場」でもありました。
琥珀色の社交場 「美肌の湯 仙道温泉」
大正〜現代
大正4年(1915年)6月、先代の細野直吉氏によって創業されたのが「仙道温泉 湯林荘」です。ここのお湯は「モール泉」と呼ばれる黒褐色の湯で、肌に吸い付くような滑らかさが特徴です。
かつては仙道の料亭街が栄えていた頃、お座敷へ向かう前の芸者衆が化粧を整えたり、時には温泉宿そのもので宴会が開かれたりと、華やかな社交場としての顔を持っていました。
当時の進入路は狭く、長谷川にかかる丸木の一本橋を渡って通ったといいますが、現在は「舟立場橋」という立派な橋が架かり、その名がかつての水運の歴史を微かに伝えています。
【Column】 天然の美容液?「モール泉」とフミン酸・フルボ酸
仙道温泉の特徴である、琥珀色に輝く「モール泉」。この色は、太古の植物が堆積した地層を通って湧き出る際に、植物由来の有機物が溶け出した証です。
中でも注目なのが、豊富に含まれる「フミン酸・フルボ酸」。これらは近年、デトックスや高保湿の美容成分として、感度の高い女性たちから熱い視線を浴びています。
肌の余分な角質や汚れを吸着しつつ、たっぷりの潤いを与えてくれるため、湯上がりはまるで美容液に浸かった後のような「つるつる」「もちもち」の感触に。
レトロな湯治場の風情と、最先端の美容トレンドが交差する仙道温泉。歴史に想いを馳せながら、贅沢なスキンケアの時間をお楽しみください。
佐渡のソウルフード「中パン」
戦後〜現代
料亭の灯りが揺れた仙道は、戦後も形を変えて「食」のエネルギーを発信し続けました。その象徴が、大正レトロなパッケージでおなじみの「中川製パン所(通称:中パン)」です。
現在も早朝4時から工場に明かりが灯りますが 、その原点は、切実な「食への祈り」にありました。
創業者はかつて、激戦地パプアニューギニアへ出征。極度の飢餓により栄養失調で歯をすべて失って帰国しました 。
「腹一杯、うまいものを食べさせたい」
戦後、その一心で配給パン作りから始め、東京で学んだ菓子作りの技術を活かして現在の礎を築きました 。
かつて料亭が大人たちの社交場であったなら、焼きたてのパンが並ぶこの店は、子供からお年寄りまで、戦後の仙道を行き交うすべての人々の胃袋と心を温めた「日常の社交場」だったのです。
【Column】時代を運ぶ「デザイン」の記憶
島内の道を走るトラックに描かれた、爽やかな青い文字と「赤い帆船」のロゴマーク 。
一度見たら忘れられないこのデザインは、元海軍の料理人で船をこよなく愛した創業者が、「自らのシンボル」として掲げたものです 。
そして、看板商品「カステラサンド」のパッケージ。
数十年前に大阪の問屋へ特注したというそのデザインは、当時から変わらぬレトロな愛らしさを放っています 。
新しいものが次々と生まれる中で、この変わらずに愛され続けるデザインこそが、島の人々に「いつもの味」という安心感を届けているのです。
絶景と癒やしの湯「畑野温泉 松泉閣」
現代:1995年開業
仙道が紡いできた「癒やし」の歴史は、現代にも引き継がれています。
平成7年(1995年)、小高い丘の上に新たなランドマーク「畑野温泉 松泉閣(しょうせんかく)」が誕生しました。
建設のきっかけとなったのは、竹下内閣時代の「ふるさと創生」事業です。当時、畑野町で実施された町民アンケートにおいて、堂々の第一位に選ばれたのが「温泉施設の建設」でした。
住民の熱い期待を背負い、地下1,300メートルから掘り当てられたのは、毎分520リットルという豊富な湯量を誇る41.8度の天然温泉。
「国技館」を模した豪華な外観の館内からは、眼下に国中平野と金北山を一望でき、特に夕映えに染まる時刻の美しさは格別です。
かつて芸妓たちも愛した仙道の湯は、町民の願いによって現代に蘇り、今も人々の心と体を温め続けています。
【Column】美肌と保温の科学 〜メタケイ酸と塩の力〜
ここの泉質は「ナトリウムー塩化物温泉(弱アルカリ性)」。
特筆すべきは、天然の保湿成分と呼ばれる「メタケイ酸」が、温泉基準値の2倍にあたる「100mg/kg」も含まれている点です。
アルカリ性の湯が肌の汚れを落とし(クレンジング)、メタケイ酸が潤いを守る(コーティング)。
さらに、塩分が肌を包み込んで汗の蒸発を防ぐため、湯冷めしにくい「温まりの湯」でもあります。
「美肌」と「保温」。科学的に裏付けられたダブルの癒やしが、ここにはあります。
歴史情報の提供のお願い・出典
本ページに掲載している歴史やエピソードは、以下の文献および地域の方々への取材に基づいて構成されています。
記述には万全を期しておりますが、口伝や古い資料に基づく内容も含まれるため、史実と異なる可能性もございます。
「昔の馬川亭や仙道の写真を持っている」「もっと詳しい話を知っている」など、皆様の記憶にある物語をぜひお寄せください。
皆様からいただいた情報を元に、このページをより豊かな「地域の財産」へと育てていきたいと願っております。
参考文献・出典一覧
【文献・資料】
- 『栗野江郷土史(第一巻)農林業篇』/編集:栗野江郷土誌編さん委員会/平成 7(1995)年
- 『栗野江郷土史(第二巻)完結篇』/編集:栗野江郷土誌編さん委員会/令和 元(2019)年
- 『栗野江城ケ平公園整備計画書(桜の名所づくり)』/編集:佐渡一国義民殿・城ケ平保存会/平成 28(2016)年
- 『あゝ、栗の江柿』/編集:土屋重右ェ門/平成 8(1996)年
- 『佐渡市歴史的風致維持向上計画』/編集:佐渡市/平成 22(2010)年
- 『佐渡案内』/編集:佐渡水産組合/明治 41(1908)年
- 『佐渡名勝』/著:岩木拡 発行:佐渡新聞社/明治 34(1901)年
- 『佐渡大寰』/著・発行:池上鋼他郎/昭和 2(1927)年
- 『大日本地名辞書 中巻 二版』/著:吉田東伍/大正 2(1913)年
- 『日本國誌資料叢書 越後・佐渡』/著:太田亮/大正 13(1924)年
- 『佐渡人名辞書』/著:本間周敬/大正 4(1915)年
- 『佐渡郷土文化』/編集:佐渡郷土文化の会/平成 8(1996)年
- 『祖國』(10月号)/発行:祖国社/昭和 15(1940)年
【取材・協力】
- 地域住民の皆様への聞き取り取材
- 馬川亭へご来店のお客様からの情報提供
- 馬川亭 店主による独自調査